【THE 歴史列伝】小早川秀秋

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世紀の裏切り者呼ばわりされてちょっとかわいそうな人です。

武士

幼い後継者

まず秀秋は、天下人豊臣秀吉の奥さんおねの甥で、
2人の養子になります。

小さい頃から利発で、上等な教育を受けた秀秋は
2人の期待を一身に受けて育ちます。

秀吉の後継者として8歳で10万石の大名となり、
11歳で従三位権中納言の位を授かります。
秀秋が12歳の時、秀吉の子、秀頼が生まれます。

ここから秀秋の立場が危うくなっていきます。
秀秋は九州の小早川家へ養子へ出されることになり
秀秋が14歳の時、秀次事件が起こります。

関白にまでなった秀次が邪魔になった秀吉は、
言いがかりをつけて秀次と妻子を殺してしまいます。

そして事件の飛び火で秀次の10万石を取り上げられてしまいます。
秀頼にどうしても跡をつがせたい秀吉の横暴ですね。

報われない秀秋

秀秋が16歳の時、朝鮮出兵の総大将となります。
重要なポジションを任された秀秋は張り切りますが、
極寒の地で食料不足に陥り
圧倒的に不利な状況での戦いを余儀なくされます。

そんな中、加藤清正の1万の軍が敵兵7万の軍に取り囲まれてしまいます。
秀秋は、自ら槍を振るって清正を救い出しましたが
秀吉には叱責され恩賞どころか、領地も没収されてしまいます。

そんな秀秋に近づいたのが家康です。
家康は秀秋の没収された地を取り戻してくれます。
さすがの家康ですね。着実に恩を売っておきます。


関ケ原の戦い

秀吉が亡くなると、家康は動き出します。
おねを引き入れ、三成に恨みを持つ
豊臣恩顧の武将を味方につけます。

石田三成は秀頼を守るべく西国大名を味方につけ、
秀秋もこちらについています。
秀秋は毛利一門の小早川家の人なので、西軍についたんですね。

東軍も西軍も8万前後の大軍を擁していました。
秀秋は勝敗を見極める為に松尾山へ移動します。
この松尾山は戦況が見渡せる場所なんです。いい場所に陣取ってますね。

東軍・家康は上方2か国を約束、
西軍・三成は関白を秀秋に約束します。
しかし秀秋は合戦開始から3時間経っても動きませんでした。

そして4時間たった正午過ぎに
秀秋は東軍に味方することを決断します。
この決断によって東軍に勝利がもたらされ平和な世が訪れます。

秀秋の功績

秀秋は家康から岡山55万石を与えられますが、
わずか2年後21歳の若さで亡くなります。
鷹狩りの最中に体調を崩してそのまま3日後に亡くなったようです。

子供もいなかったのでお家もお取り潰しとなります。
何年続くかわからない大きな関ケ原の戦いを
わずか6時間で終了させた秀秋は、もっと評価されてもいいと思います。

関ケ原の戦いが10年も続いていたら
日本はどうなっていたでしょうか。
復興するのに何年もかかったはずです。

結局、小早川秀秋が東軍についたから徳川が勝ったのに
全然いい話が歴史として残っていないのは
子供がいなかったからでしょうか。

裏切り者と言われますが、秀吉に恩も恨みもある状態で、
東軍におねがいることもあり、
心情的にはどちら側ということはなかったと思います。

結局は勝ち馬に乗って小早川家を大きくして
繋げたい思いが強くあったのかな。
自分の功績をしっかりと東軍に見せて
恩賞をがっつりもらえたところまでは計画通りですね。

もう少し長生きして子供がいれば
代々の武勇伝としていい話が残っていたかもしれません。


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