宮本武蔵の健康法ー五輪書はエンディングノート

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今回「偉人達の健康診断」で取り上げられるのは、
60戦無敗といわれている宮本武蔵の健康法についてです。

剣

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勝因は姿勢と歩き方

宮本武蔵が剣豪で強いのは知っていましたが、大男だとは知りませんでした。
当時の日本の平均身長が150cm後半のところ、
武蔵は185cmもあったんです。
やっぱり体格的にも有利ですね。

有名なのは佐々木小次郎との巌流島の決闘です。
ただこの時の武蔵が決闘に遅れて小次郎を苛立たせたり、
一撃で負かしたというのは、フィクションだったようです。

武蔵が木刀、小次郎が真剣で何度も切り結び、
武蔵はなんとか木刀で小次郎の頭を勝ち割りました。
ただこの時武蔵は29歳、小次郎は18歳とだいぶ年の差があります。
剣よりも軽い木刀を使い、足場の悪い砂地での決闘は、
武蔵に有利だったといいます。

なぜなら武蔵は軽くひざを曲げ、あごを少し出して
肩を下げる姿勢を取る必勝の構えを取っていたからです。

この必勝の構えはまさに足場の悪い場所でも素早く動ける構えなのです。
そしてかかとから歩く足の運びで、つまづくこともありません。
ここが剣道などとは違います。

頭は重いので、例えば頭の重さが6kgの場合、
あごをひいて60度の傾けると27kgの負荷が
僧帽筋にかかってしまいます。
15度だとしても倍の12kgの負荷です。
これは肩こりになりますよね。

そこであごを出して少し上にあげると楽になります。

二刀流の効果

武蔵が二刀流になったのは巌流島の決闘よりずっと後のことです。
そしてこの二刀流も意味合いが違っていました。

強さだけを求めていた武蔵ですが、34歳の時
大阪夏の陣が起こり、平和な世となったのです。

平和な世で武蔵が特に心を砕いたのは水墨画です。
水墨画で自らの心と向き合った武蔵は、
心と体が強くあることが必要だと悟ります。
今までの自分には心が足りなかった、と。

そして心と体を鍛えるには二刀流がよいと悟ったわけです。
片手で刀を振れるように2本の刀を持ちます。
つまり利き手と逆の手を同じように鍛えることが必要だったからです。

利き手ではない方の手を鍛えると、体のバランスがよくなり、
利き手がより能力を発揮できるというデータもあります。

また利き手ではない方の手を使うことで前頭前野が使われます。
この前頭前野は自制心を制御します。
怒りや焦りを制御し、平常心を保てるようになります。

こうして武蔵は心と体を鍛えたのです。



上半身も鍛えよう

50歳を超えて起こった島原の乱に武蔵は参加します。
その時、最前線に飛び出し敵兵が落とした石に
当たって転び、けがをしてしまいました。

現在、お年寄りで要介護になった原因の
4位に「転倒・骨折」があります。
これは年間12万人にもなります。
転倒・骨折の後、寝たきりになる人が多いのです。

転倒を予防するために下半身を鍛えることは大事です。
しかし、転倒してしまった後のケガを最小限に抑えるのには
上半身を鍛える
のが大事なんです。

武蔵は上半身も鍛えていたので石に当たって転倒しても寝たきりにはなりませんでした。

五輪書はエンディングノート

武蔵は62歳の時、人里離れた洞窟で五輪書を書き始めました。
自分の死を意識したのです。

過去を振り返りながら書く五輪書は、
現在でいうところのエンディングノートです。
エンディングノートとは、自分の生き方を振り返り、
自分の死後のことや周りの人に伝えたいことを書き記すものです。

このエンディングノートの効果は、
まず自分は一人ではなかったことが確認できるので、孤独感が癒されます。

またつらいことも自分の糧になったと受け入れられるようになります。

自分の人生が意味があるものだったと肯定的に考えられるようになるのです。

武蔵の場合、剣に多くの時間を割いてきたので
五輪書は剣術や心構えについてが多くを占めますが、
戦いや水墨画を通じて得た哲学をも記されています。

でも、そうして人生を振り返り、肯定的に人生をとらえることで、
厳しかった父をも許すことができました。

2年を費やして書き上げた五輪書は、
弟子たちの教科書となり、後世の人間にも大きな影響を与えます。

私たち平凡な人間でも、得意だったことや周りに伝えたいことはあるものです。
そういう意味でエンディングノートはありかな、と思います。
ただ、いつから書き始めるのかが問題ですよね。



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