【英雄たちの選択】大改革を成功させる秘訣を学ぶ

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ハッピーな毎日に影を落とす政治のニュース。
もう加計学園の話はお腹いっぱいですよ。
松山城

歴史は繰り返すといいますよね。
今、日本も借金まみれです。
今日のテーマは勉強になるんじゃないでしょうか。

財政赤字の松山藩を救う方法

備中松山藩は今の岡山県にあたります。
標高430メートルにある備中松山城は
「真田丸」のタイトルバックになるほどきれいなお城です。

このお城の重臣、山田方谷がクローズアップされます。磯田さんが是非紹介したい人ということで、力入ってます。

元々農民出身の方谷ですが、頭がよく、藩校の校長をしていたところ
財務大臣と事務次官という、藩の財政を一手に任される重大な役に任命されます。

方谷は辞退しますが、藩主・板倉勝静が熱望したため、結局は受けることになります。
そして方谷は松山藩の実態を知ります。
松山藩が財政赤字で、莫大な借金があったのです。

方谷の考える財政再建計画

方谷は、武士のメンツを保とうと反対する重臣たちを振り切り、借金を重ねている大阪の商人に実情を話します。

財政再建計画を打ち合け、返済の延期を申し入れたのです。大阪の両替商たちは受け入れます。

方谷が行った財政再建計画は以下のようなものです。

・蔵屋敷の廃止
 米を現金化するために設けられている蔵屋敷。便利だけど手数料高いので、藩が相場を見て直接売りさばくようにします。

・地域の特産品開発
 銅山経営や鉄製品の生産、柚餅子や刻みタバコなどの量産を奨励します。
 
・流通改革
 撫育方を作って、藩内の産物を江戸に直送するしくみを作ります。
 
・藩札から永銭
 信頼を失っていた藩札を燃やすパフォーマンスを事前告知し、祭りのようにして領民に見せます。それまで使っていた紙幣を燃やす行為は、領民を驚かせます。
 
 しかし、新しい藩札・永銭は他藩でも通用するほどの信用を得るのです。やはりお金は信用が重要なんですね。信用の価値を示すものですからね。
 
これらの財政再建計画の根本は士民撫育=福祉になります。普通、「財政再建」と聞くと儲かっている所に課税すると考えがちですよね。

そこを、「国民福祉を作って生産性が高くなれば税を取れる」「国民が安心して働けるようにする」ことで上っ面だけでなく根底から改革しました。

以上のやり方で7年でほとんどの借金を返済したのでした。

ないものではなく、あるものに目を向けよう

このような時には、方谷のように「大胆な改革」が必要とされます。
でも、日本人は、現状の破壊が苦手です。方谷のようにばっさり切り替えられるでしょうか。

大胆な改革といっても「ないものを持ってこよう」としてはいけません。「あるもの」例えば地域の特産品に注目するのです。

これは今の町おこしにつながっていますね。
町おこしがうまくいっているところはブランディングがしっかりしている所です。
他との差別化をアピールできています。

ただ、この改革に藩士たちは決して賛成していません。方谷が殺されなかったのは、藩主が守ってくれたからです。
勝静は方谷の後ろ盾となっていたんです。

また、方谷がずっと藩校の先生であり、腰も低い人柄で、尊敬されていたことも大きな理由のひとつです。

財政を立て直した松山藩の次のステップ

松山藩を方谷と立て直した勝静は幕府の老中になります。
幕府のことは勝静が、松山藩のことは方谷が仕切るように棲み分けができたのです。

方谷は藩を立て直しただけでなく、次に軍政改革にも着手します。
銃の試作にも取り組んで、軍隊を作ろうとします。

しかし武士は足軽のように扱われるのを嫌がります。方谷は、農民を主体とした西洋式軍隊を作りました。
先見の明がある人ですね。

武士は「馬に乗りたい」「足軽のように走り回るのは嫌だ」と言います。
それにハイコストです。終身雇用どころか子や孫まで永代雇用です。

それに比べ農民はコストもかからず、文句も言わず軍隊として動きます。
これが最新の軍隊となって、諸国のお手本になるのです。
戦うのが目的の武士ではなく、農民の軍隊を作るなんて、ちょっと面白いですよね。

でもこの最新の軍隊を見学した長州の久坂玄瑞たちが、後の奇兵隊を作ります。
小国でこんな最強の軍隊が作れるのだと証明したのですから、方谷はすごい人ですね。

また、方谷は「幕府に未来はない」といって勝静に老中を辞任するように迫りますが、
勝静はききませんでした。徳川と共に倒れる覚悟があったのです。

朝敵となってしまった松山藩

そして鳥羽伏見の戦いが起こります。
敗戦した慶喜に同行した勝静の為、松山藩の討伐命令が隣の岡山藩に出されます。

方谷は、すぐさま戦闘準備には入りますが、城主がいないので議論は混迷します。
ここで方谷の出番となります。


英雄の選択・方谷の選択とは

方谷はどちらを選択するのでしょうか。
①徹底抗戦
②おとなしく謝罪する

今回は、選択についての討論はありませんでした。

主君が取った行動に沿うなら①になります。
それが武士の道というものです。
しかし方谷の方針は撫育です。領民を思いやる方針だとすると②になります。

方谷は②を選択します。
しかし、新政府からの謝罪書の文案に憤り受け入れられません。文面に「大逆無道」にあったからです。
大逆無道とは「人の道に甚だしく背いた道」のことです。

勝静の行動は、一貫して尊王を貫いています。「大逆無道」ではないと訂正させるために
方谷は切腹覚悟で交渉に臨みます。
ここで認めてしまっては主君は基より松山藩がずっと汚名を着せられ続けるからです。
譲れないところは譲らない方谷の意思を感じます。

この交渉は、勝静の一部無罪を勝ち取るための行動でもあります。「天空の山城」と「最新の軍隊」を手に交渉を進め、「大逆無道」の文字は「軽挙暴動」に変更されることになり、松山城は無血開城されます。

軽はずみな行動を取ったという文面であれば事実に即しています。
岡山藩だって命令を受けて討伐に行くけれど、松山城を攻めたくはないんです。
親戚だっているし、山の上まで登るの大変だし、軍隊だってあります。
戦わずに勝つにこしたことはないですね。

方谷は、その後勝静の居場所を突き止め、松山藩へ戻します。戻った勝静は、朝廷に謝罪し松山藩はやっと復興します。

やっぱり教育が大事なんです

明治になり、方谷は手腕を買われて新政府からの誘いを受けます。
こんな大変なことをやり遂げられる人です。当然ですね。
しかし、方谷は断って「先生」に戻ります。

長瀬塾という学校で若者に教える「教育者の道」を選んだのです。人を作るのは教育だと考えていたのでしょう。方谷はその後山里に移り73歳で亡くなります。

方谷は山里にこもっていても知識を貪欲に仕入れていました。学校にも足を延ばし教えることを続けていました。
知識は武器になることを知っていましたし、それを教えたいという思いがあったのでしょう。
農民でも、庶民でも知識が必要だと考えていたのです。

今は交通の便もよくなり、情報もインターネットで仕入れることは簡単です。
逆に情報あふれる世の中になっています。
「東京にいないとできない」ことはありません。

今のところ、方谷のような人は現在の日本に出てきていないですよね。
方谷が今の日本を見たらなんというでしょうか。
便利な日本、基本的な知識は底上げされているけれど、怒られそうな気がします。



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