調所どんはやりきる覚悟と行動力

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「西郷どん」ならぬ「調所どん」

【英雄たちの選択】調所広郷 命を懸けた秘策

大好きな番組です。
NHKでは西郷どんが放送されていますが、今回注目された調所広郷は西郷さんより少し前の話になります。エピソード0とでもいいましょうか。

琉球は薩摩藩に支配されていましたが、ペリー来航より先にフランスが琉球に開国を求めてきます。
その時、薩摩藩の家老だったのが調所広郷です。
圧倒的な武力で開国をせまるフランスと、鎖国する幕府の間で対応を迫られます。

武士返り

調所広郷は、ひどく貧しい家の出で薩摩藩でも一番下から家老までになったのは、彼一人のようです。

養子に出され茶道坊主を務めていた調所広郷ですが、江戸へ出て島津重豪付きとなったことが運命を変えます。
島津重豪は隠居してましたが、力のある人だったので広郷を武士に戻して、薩摩藩の財政改革を任せます。

よほどできる人だったんでしょうね。
このまま茶だけやらせておくにはもったいない、武士に戻そうってわけです。

江戸時代末期になると、どこも財政赤字だったようですが、薩摩藩はやはり外様大名ですから、幕府からも容赦なく治水工事など命じられます。

また、ちょうど篤姫を輿入れする為の婚礼費用なども準備せねばならず500万両、今の価値に直すと2500億円の借金がありました。
これは日本一の赤字といえるでしょう。

広郷の財政改革

そんな莫大な借金のある薩摩藩を広郷は、2つの方策で立て直しを図ります。

・奄美大島の黒砂糖の利権と借金返済の譲歩
 島民に売買を禁じ、すべて薩摩藩が買い取り大阪の商人に売りさばかせる
 代わりに大阪の商人に借金返済を大幅譲歩させる

・琉球を使った貿易
 富山藩から昆布を仕入れ清に輸出し、逆に清から薬種を仕入れて売りさばく
 幕府から薬種、量を制限されていたがそれを無視しての貿易を行った
 
結果、この方策は成功し50万両も黒字に転換したのでした。

やってきたフランス船

アヘン戦争の2年後、フランス船アルクメーヌ号が来航し、琉球に開国を求めます。
これはペリー来航より9年前のことになります。

琉球は実際には薩摩藩の支配下に置かれ、同時に清国の「冊封」という名目的な君臣関係にありました。

琉球の判断で開国することはできません。琉球は薩摩藩に訴え、幕府は琉球への警備篇派遣を指示します。調所は100人を超える警備を琉球へ差し向けます。

フランスは2年後に再び琉球へ来航しました。
この時広郷の財政改革での方策に陰りが見えていました。
黒砂糖は豊作となり価格が下落し、制限を超えた貿易が幕府にばれてしまい免許停止となってしまっていたのです。


英雄たちの選択

調所広郷はどちらを選択するのでしょうか。
①通商開国を拒絶
②通商をすすめる

・桐野作人(歴史作家)②
 琉球は日本ではないから、日本は鎖国していることになる
・真山仁(小説家)②
 薩摩のことを考えると②を選択する。仕方なくというポーズを幕府に見せる
・楠木建(経営学者)②
 自分の会社を優先するのは当然。調所は現実主義だからグレーゾーンをうまく使える
・磯田道史(歴史学者)①
 ②はリスクが高い
 

調所広郷の決断

調所広郷は②を選択し、老中阿部を説得しました。フランスが清国と話を勧め、琉球と勝手に通商を始めてしまうかもしれない、と。

老中は仕方なく薩摩藩に琉球を任せます。
しかし、琉球はあくまでフランスとの開国を拒絶します。

調所広郷は、その後江戸で急死します。服毒自殺ともいわれています。これから主君となる斉彬との考え方の違いは、広郷を追い詰めたのかもしれません。

調所が多くのお金を残したおかげで、西郷達の倒幕資金となりました。
斉彬は「江戸表の論理」、調所は「薩摩国元の論理」を取っていました。斉彬は江戸にいることが多かったのでこれからの日本を考えたのでしょう。
でも調所はまずは薩摩を富ませて強くしてからだと考えていたのだと思います。
視点が違っていただけなんですけどね。

調所広郷にはすぐれた経営者の資質があったといいます。成果を出すためには、嫌われてでも行動していくことが必要です。
広郷には恨みをかってでもやり通す行動力があったのですね。

日本人は「これまでのルート」に依存してしまうのが悪いところで、新しいルートを作る英雄がたまに出てきても非業の死を遂げています。
信長や龍馬、調所などはそうですね。

新しいルートを作る人は日本では生きにくいものなのでしょうか。

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