親友・光秀にも流されない。情勢を読みつくすスーパーマン!細川藤孝

スポンサーリンク
スポンサーリンク

「麒麟がくる」では、眞島秀和さんが演じておりましたね。
明智光秀も大変頼りにしていた有能な人物です。

子孫には元首相の細川護熙さんもいらっしゃいます。
名門ですね。

スポンサーリンク

文武両道のできすぎ君

藤孝は信長と同い年なのですが、
彼は細川家の血筋ではなく
落ちぶれそうな細川家(本家)を立て直すべく
7歳でスカウトされた養子なのです。

将軍の側近である三淵晴員の次男で
母親は学者として有名な清原宣賢の娘、智慶院といわれており
英才教育もされたのでしょう。

藤孝は5歳で将軍に謁見、13歳で元服、21歳で家督を相続しました。
戦国随一の文化人で、文武両道の藤孝ですが
彼は情勢を見極める目も持っていたのです。

戦国時代とはいえ、戦いに強いだけではなく
政治には連歌、茶道、香道などの教養も必要でした

藤孝は、これらの才能があり
連歌では弟子をとって作品を添削したりしていました。
たまにこういう文武両道の人いますよね。
蹴鞠や包丁さばきも達人だったスーパーマンです。

連歌とは複数人が上の句と下の句を詠みあって
続けていく形式の歌です。
これは連歌の上手さが同レベルでないと恥ずかしいことになりそうです。

輪になって座り、詠む連歌は連帯感を上げるもので
出陣の時には出陣連歌というものもありました。

戦国時代には連歌師という職業もあったようで
彼らは非常に重宝されたようです。
歌はもちろん、情報をもたらすという意味でも
スパイのような役割もあったといいます。

スポンサーリンク

3度の選択は全部正解

この人なにせ3度も重大な選択をせまられ
その都度正解を出している人なんです。
ここでいう正解は生き延びる、家を潰さないという意味です。

その1 義昭に愛想つかして信長につく

まず、藤孝は13代将軍足利義輝に仕えます。
しかし、義輝は三好や松永久秀たちに殺されてしまいます。
その時幽閉されていた義昭を連れ出したのが藤孝です。

なので、義昭というより将軍に仕えています。
その後15代将軍となった義昭ですが、信長とうまくいかず
信長が兵を挙げて上洛した際に、藤孝は信長側につくのです。

一時は武田信玄が出てきて、信長包囲網ができた時もありますが
信玄は亡くなってしまい上洛どころではなくなります。
やはり見極めができていたといえるのではないでしょうか。

その2 細川家が大事だから秀吉につく

本能寺の変を翌日に知った藤孝は、すぐさま剃髪して
息子に家督を譲って、幽斎と名乗り隠居します。
光秀の娘で息子の嫁であるたまを幽閉し
信長の三男、信孝に忠誠を誓います。
もちろん光秀からの使者は追い返しました。
この決断の速さと徹底した行動力は素晴らしいですね。

光秀ではなく、織田側つまり秀吉についたのです。
それを内外に示すべく行動に移しました。
ここまで徹底すれば、織田側も信じたでしょう。
そして親友で親戚でもある光秀は、あてが外れて驚いたことでしょう。
そして周りの人々も驚いたでしょう。

周りは当然、光秀につくと思っていたからです。
だから光秀に味方せず、ただ隠居しただけで
光秀を討ったわけでもないのに秀吉から感謝されるのです。

逆にここまで徹底しないと「裏ではつながっている」
思われて殺されてしまう可能性があったのです。

その証拠に津田信澄は殺されてしまっています。
信澄は、信長の弟で信勝の子(つまり信長の甥)ですが
光秀の娘を妻にしていました。
これは藤孝の息子、忠興を同じ立場です。

しかし信澄は、光秀と通じているとみなされ
信長の三男の信孝たちに殺されてしまっています。

その3 豊臣を見限り家康に恩を売る

秀吉の死後、次は家康だと目をつけた藤孝は
もちろん東軍につきます。
息子忠興にほとんどの兵をつけて家康に付き従わせたのです。

田辺城に残った藤孝は、500人の兵力しかないのに
西軍の15000人に取り囲まれてしまいます。

しかし籠城して50日も持ちこたえたのです。
そして最後には後陽成天皇の勅命によって包囲網が解かれます
ちなみに西軍には藤孝の歌道の弟子が何人もいて
積極的に攻めることはなかったという話もあります。

ここで天皇が出てきたのは藤孝が
古今伝授を受け継いだ唯一の人だったからです。
つまり、藤孝が死んじゃうと平安時代から引き継いできた
古今伝授が終わってしまいます。

古今伝授とは平安時代の勅撰和歌集・古今和歌集の解釈について
語り伝えられている秘伝らしいのです。
代々引き継いできた古今伝授を藤孝が伝えきる前に
死なれては困るということで貴族、果ては天皇が出てきて
停戦命令を出したのでした。

これによって西軍15000人を足止めした功績として
家康から報償を受け取ります。
藤孝ではなく忠興ですが、これで細川家は続いていくのです。

重要な選択も情に流されず、情勢を見極めたスーパーマンは
戦国時代にいたんですね。
彼の野望がお家存続ではなく、天下統一だったらどうなっていたんでしょうか。
そんな歴史も見てみたかったかもしれません。




こんなこんな記事も書いています。

コメント

タイトルとURLをコピーしました