徳川綱吉の生類憐みの令は日本人の心を作った

スポンサーリンク
スポンサーリンク

父は三代将軍家光、母は八百屋の娘お玉(桂昌院)です。
四代将軍家綱は家光の長男ですが、家綱に男の子供がいなかったので
家綱の弟である綱吉が35歳で、五代将軍となりました。

犬公方としても有名ですね。

スポンサーリンク

災害続きは綱吉のせい?

ドイツ人医師エンゲルベルト・ケンペルは日本誌の中で、
綱吉に対し
「非常に英邁な君主であるという印象を受けた」と書いています。

それなのに、犬公方と呼ばれ「ダメダメ君主」というイメージが強いのは、
生類憐みの令も大きな要因ではありますが
災害が多い年が続いたからです。

災害が多いと、祟りだといわれたり
統治者が悪いからだと考えられてきました。
・・・まあ、仕方ないでしょう。
今のようにどうやって地震が起こるかなんて知識もない時代です。

1695年頃から奥州では飢饉が続き
1698年には勅岳大火という江戸の大火事がありました。
1703年には元禄地震とそれによる火事、
1704年頃には浅間山も噴火しており
1707年には宝永地震や富士山の噴火もありました。

こういった災害は、もちろん綱吉のせいではありませんが
当時の人々は、綱吉が交代すれば
天変地異が治まると考えていました。

スポンサーリンク

福祉の法

そしてやはり有名な生類憐みの令ですね。
儒教を学んでいた綱吉は、荒れた世の中を変えようとしていました。

ちょっと行きすぎの感じはありますが、
最初はいい法令だったのですよ。

この頃は、子供だって病人だって、
普通に捨てられていました。
特に可哀そうと思うこともなかったのです。

試し斬りや斬り捨て御免と、
大した理由もなく人が殺されたりするのも
月に2、3度と珍しくもありませんでした。

衛生面も悪く、残飯は道端に捨てていたので
野良犬が集まり増えて、野良犬に襲われたり
野良犬を虐待する人も多かったのです。

だから「生きものはみんな大事にしようね」という
太平の世にふさわしい法なのです。

ただみんなが言うこと聞いてくれないから
どんどん細かく厳しくなっていって行きすぎてしまったんですね。

綱吉はやはり、神経質というか粘着質というか執念深いのです。
ある時、馬がしゃべるという噂がたち、
人々は面白がって馬のお札を売るようになりました。

綱吉は人心を惑わすものだといって噂の主を探し当てるのです。
そして主を処刑します。
江戸に住む35万3500人に聞き回ったといいます。
執念ですよね。

人々は綱吉を「犬公方」と呼んで
「犬」と背に書いた羽織を着て、
「お犬様を大事にしてます」とみせかけてバカにしていました。

こんなこと「庶民のやること」と流せばいいのに
綱吉にはできません。
「犬と書いた揃いの羽織はやめるように」とお触れを出します。
そして反発する庶民とやりあいの末、生類憐みの令は迷走していきます。

綱吉は、生類憐みの令をを守らないと厳しく罰しました
病気の馬を放置した者を流罪としたり、
鳥を殺して売った者を切腹させたりしています。

また馬も大事に思っていた綱吉は、
乗り心地を良くするために
切っていた馬の筋繊維の切除を禁止しています。

ただ町人と武士を差別して、
武士なら刑罰を考慮するということはありませんでした。
この法令に関して身分は関係なかったのです。

その点では、未来的な法です。
特に犬を大切にしようとするあまり
大久保・四谷の人たちを追い出して
東京ドーム20個分の広さに犬を保護する小屋を立てます。
エサ代70億も税金として徴収されたら文句言いたくなります。

でも、「捨て子禁止」「病人の保護」も生類憐みの令なんです。
130ほどある生類憐みの令のうちの1つです。

捨て子を禁止するだけでなく、
防止しようと戸籍のようなものを作ったり、
病人は駕籠を使ってよいなど弱者に優しい福祉の法です。

この時の行きすぎの法は綱吉が亡くなって
すぐに廃止されましたが、
捨て子や捨て牛馬の禁止、病人の救済の法はそのままでした。

「仁」の心を人々に与えようとして奮闘した綱吉ですが、
人々の考え方を変えたきっかけにはなったようです。

つまり、子どもや病人など弱者は労わるもの
犬や馬など生き物もむやみに傷つけてはいけないというものです。
これを手に入れたことは大きいですね。

スポンサーリンク

犬食文化

生類憐みの令がきっかけで
日本での犬食文化はなくなりました。

つまりそれまでは、食べていました。
もし食べ続けていたらどうなったでしょう。

今のペットブームはなかったかもしれません。
また欧米諸国に非難されていたかもしれないです。

欧米諸国は自分たちの価値観が正しいと信じ切って
他国の文化を非難したりしますね。
そして絶対に意見を曲げない。人に押し付けます。
本当に面倒くさいと思います。

正義感の押し売りほど、面倒なものはありません。

日本でも流行りの「自粛警察」などがいますが、
自分はイイことしてる!というエネルギーを使って
正義を背負ってる顔して
他人を攻撃するのは、いかがなものでしょうか。

韓国人が犬を食べようが、日本人が鯨を食べようが
その国の文化なのだから、ほうっておいてほしいものです。

あたなの国の、あなたの周りの犬や鯨を
大事にしてあげればいいことではないの?
インド人は神である牛を食べる私たちを
非難・攻撃してくるか?

日本の犬食文化が残っていたら
間違いなく標的にされていましたよね。

スポンサーリンク

盲人の自立も支援

綱吉は、頭痛と関節痛に悩まされてしましたので
父・家光が試していた鍼で対策していました。

綱吉は盲人の鍼医・杉山和一を奥医師とします。
そして褒美に目が1つ欲しいという杉山に、
本所の一つ目に土地を与えます。

そこに作らせた施設が、「鍼治講習所」です。
目の不自由な人が鍼灸を学べる学校を作ったのです。

これはヨーロッパに盲学校ができる100年前のことです。
現在は江島杉山神社となっています。

綱吉は全国に鍼を広めるべく鍼の学校を作ったので
目の不自由な人は鍼灸で食べていけるようになり
安価な価格での鍼治療を
江戸庶民も受けることができるようになりました。


犬公方・綱吉は執念深いし厳しいけど
生類憐みの令は、全くの悪法ではなかったし
弱者を救い、盲人たちの救済も考えて
現代に近い世界を作ろうとしていたんだなあ。




こんな記事も書いています。

コメント

タイトルとURLをコピーしました