勇猛果敢な医師でもある義弘
「偉人たちの健康診断」薩摩男児について注目します。
島津義弘は勇猛果敢な薩摩男児のイメージを植え付けた人です。
あの関ケ原での正面から敵陣を突破する「島津の退き口」をやってのけました。
これは義弘が家臣に慕われ、鉄の結束があったからこそ成し遂げられたものです。
義弘は医師としての知識もあったようで、家臣やその家族を診て手当てしていました。
戦場でけが人を診ることもあり、外科手術まで行っていたというのです。
助けられた家臣はそれはもう、義弘への忠誠を誓うわけですよ。
助産師としても立ち会っていました。
義弘も関ケ原を生き延びて85歳まで生きました。
医学の知識があったからでしょう。
ただ晩年は認知症の症状が出て食事もせずに寝ていたようです。
そのため家臣達はほら貝を吹いて、義弘に食事をさせていました。
これは回想法という今でも行われている方法です。
過去の記憶を思い出させる方法です。
回想することで、当時の記憶がよみがえって機能が活性化することが期待できます。
迷惑な借金大王
島津重豪は斉彬の曾祖父です。彼は89歳まで生きた人です。
ただ彼の場合、医学の知識があったからというわけではなく、珍しいものが好きでストレスなく買い漁ったからです。
長崎で海外の珍しい鳥やサイの蹄、イグアナ、オランウータンのはく製まで買い求めてました。
おかげで薩摩藩の財政はひっ迫します。
重豪は買った珍品を見せびらかせて自慢するのが大好きでした。でもそのおかげで薩摩藩は100万両(4000億円)の赤字を抱えることになります。
天体観測の施設や百科事典を作らせたり、子供たちの結婚にも散財します。
自己評価が低く見栄っ張りな人は買い物依存症に陥りやすいといいます。
重豪もそうだったのでしょうか。
買い物は止められません。
赤字は500万両にまで膨れ上がります。
が、彼はそのまま亡くなります。
これを返済したのが、家老の調所広郷です。
重豪が可愛がっていた斉彬が世界を知る目を持ったのも重豪の功績とはいえますね。
ただの迷惑な殿様にならなくてよかったです。
重豪がまいた種が明治維新につながったといえますね。
サツマイモで富国強兵
薩摩はサツマイモが有名ですね。
サツマイモはさまざまな栄養分が含まれているといいます。
5大栄養素でいうとビタミンとミネラルと炭水化物に関しては十分な量が取れます。
このサツマイモで、薩摩の人口が増えたというのです。
島津斉彬は、西洋式の雷管銃を製造します。雷管銃にはアルコールが必要です。
薩摩ではこのアルコールを芋焼酎で代用しました。
薩摩では米よりもサツマイモが多く採れるからです。義弘は雷管銃だけでなく特産品として芋焼酎を生産するように命じます。
これがどう健康につながるかというと、芋焼酎は血栓を溶かす酵素を分泌させる作用があります。
血栓がはがれると心筋梗塞や脳梗塞になる場合があります。これを予防することになります。
ロックグラス1杯分くらいが適量です。
5分間香りを嗅ぐだけでも効果があるということです。
飲めない人にもいいですね。
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