「せっかくやってあげたのに、お礼も言ってくれない」って
感じることありませんか。
「やってあげたのに」は危険です。

自分ルールを押し付けてないか
やってあげたのだから、お礼を言われるはず。
感謝されるはず。
これは、自分の行動の見返りを求めています。
そんな自分ルールをかざして
人に押し付けるのは考え物です。
人には人の自分ルールがあって、それはぴったり重なることはありません。
例え家族で何十年一緒に暮らしてきたって
自分ルールがぴったりの人なんていないのです。
国が違ったり、宗教が違ったりすると
ルールが合わなくても納得できますが
これが自分に近い人が合わないとすごく気になります。
「普通はお礼を言うだろう」
「普通ならお返しがあるはずだ」
この「普通は」も自分ルールの中の「普通」です。
気を付けないといけないですね。
例えばアドバイスをしたって、
その人がその通りにやるかどうかはその人次第です。
心配して声をかけたとしても
相手は束縛されたと感じるかもしれません。
「そっちが勝手に心配しただけでしょ」と言われれば
なおさら腹が立ちます。
やりたいからやる
これは考え方を変えてみましょう。
親切の押し売りは頂けません。
「自分がやってほしいこと」=「人がやってほしいこと」とは限りません。
私がやりたかったからやった。
だからお礼はいらない。
私がアドバイスしたかった。
選択するかどうかはその人次第。
私が心配したかった。
相手に伝わればそれでOK。
「相手のために、相手を思ってやってあげた」のではなく
「自分がやりたくてやった」と思えば苦になりません。
もし思えないのであれば
それはやるべきなのか考えなおす必要があることです。
みんな持ってる承認欲求
結局、人は役に立ちたいっていう欲求を持っています。
だから「〇〇のおかげでうまくいったよ」とか
「〇〇が手伝ってくれて助かったよ」とか言われたいのです。
それでつい、「してあげちゃう」んですよ。
で、結果として
もらえると思ってた言葉をもらえなかったりすると
モヤモヤしちゃう。
もし本当に見返りや感謝が欲しいのならば
もらえなかった時には、イライラせずに
今度からこの人には対応を変えればよいだけです。
だって「もらえない」人だから。
本当に欲しいなら「くれる」人だけに絞るべきです。
「もらえない」人なのは、その人の「普通」だからです。
そういう意味で同じ価値観の人といると
衝突が少ないのでしょう。
だからお礼を言ってくれる人の周りには、人も集まります。
お礼は、自分のやったことを認めてくれる行為だからです。
「親切の押し売り」を受けたら
逆に「やってあげたよ」と言われたらどうでしょう。
「親切の押し売り」のように感じてしまうかもしれません。
反射的に「え、頼んでないけど?」って思ってしまうのは
自分としては求めていない行為だったからです。
でもやっぱり「〇〇してあげたよ!」っていう人は
承認欲求を必要としてるんですよ。
だから「ありがとう、助かったよ~」と返すと
良好な関係を保てます。
「〇〇してあげたよ!」と言われたら
「ほめて、ほめて~!」と裏の言葉を読んであげましょう。
愛があればできるはず?
うまく褒めて「追加で××もしてくれると助かるわ~」という手もあります。
ただ「頼んでないけど?」って毎回思うのもきついです。
人によっては、お礼以上の物を見返りとして求めてきたりします。
そんな人には「やってもらっても何もお返しできません」と
はっきり伝えましょう。
私は「あなたが欲しがるお礼をあげられない人」だと認識してもらいましょう。
そうして適度な距離を保つことができます。
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