「せっかくやってあげたのに」は独りよがり

スポンサーリンク
スポンサーリンク

「せっかくやってあげたのに、お礼も言ってくれない」って
感じることありませんか。
「やってあげたのに」は危険です。

スポンサーリンク

自分ルールを押し付けてないか

やってあげたのだから、お礼を言われるはず。
感謝されるはず。

これは、自分の行動の見返りを求めています。
そんな自分ルールをかざして
人に押し付けるのは考え物です。

人には人の自分ルールがあって、それはぴったり重なることはありません。
例え家族で何十年一緒に暮らしてきたって
自分ルールがぴったりの人なんていないのです。

国が違ったり、宗教が違ったりすると
ルールが合わなくても納得できますが
これが自分に近い人が合わないとすごく気になります。

「普通はお礼を言うだろう」
「普通ならお返しがあるはずだ」
この「普通は」も自分ルールの中の「普通」です。

気を付けないといけないですね。

例えばアドバイスをしたって、
その人がその通りにやるかどうかはその人次第です。

心配して声をかけたとしても
相手は束縛されたと感じるかもしれません。

「そっちが勝手に心配しただけでしょ」と言われれば
猶更腹が立ちます。

スポンサーリンク

やりたいからやる

これは考え方を変えてみましょう。
親切の押し売りは頂けません。

自分がやってほしいこと」=「人がやってほしいこと」とは限りません。

私がやりたかったからやった。
だからお礼はいらない

私がアドバイスしたかった。
選択するかどうかはその人次第。

私が心配したかった。
相手に伝わればそれでOK。

「相手のために、相手を思ってやってあげた」のではなく
自分がやりたくてやった」と思えば苦になりません。

もし思えないのであれば
それはやるべきなのか考えなおす必要があることです。

スポンサーリンク

みんな持ってる承認欲求

結局、人は役に立ちたいっていう欲求を持っています。

だから「〇〇のおかげでうまくいったよ」とか
「〇〇が手伝ってくれて助かったよ」とか言われたいのです。

それでつい、「してあげちゃう」んですよ。
で、結果として
もらえると思ってた言葉をもらえなかったりすると
モヤモヤしちゃう。

もし本当に見返りや感謝が欲しいのならば
もらえなかった時には、イライラせずに
今度からこの人には対応を変えればよいだけです。

だって「もらえない」人だから。
本当に欲しいなら「くれる」人だけに絞るべきです。

「もらえない」人なのは、その人の「普通」だからです。
そういう意味で同じ価値観の人といると
衝突が少ないのでしょう。

だからお礼を言ってくれる人の周りには、人も集まります。
お礼は、自分のやったことを認めてくれる行為だからです。

スポンサーリンク

「親切の押し売り」を受けたら

逆に「やってあげたよ」と言われたらどうでしょう。
「親切の押し売り」のように感じてしまうかもしれません。

反射的に「え、頼んでないけど?」って思ってしまうのは
自分としては求めていない行為だったからです。

でもやっぱり「〇〇してあげたよ!」っていう人は
承認欲求を必要としてるんですよ。

だから「ありがとう、助かったよ~」と返すと
良好な関係を保てます。

「〇〇してあげたよ!」と言われたら
「ほめて、ほめて~!」と裏の言葉を読んであげましょう。
愛があればできるはず?

うまく褒めて「追加で××もしてくれると助かるわ~」という手もあります

ただ「頼んでないけど?」って毎回思うのもきついです。
人によっては、お礼以上の物を見返りとして求めてきたりします。

そんな人には「やってもらっても何もお返しできません」と
はっきり伝えましょう。

私は「あなたが欲しがるお礼をあげられない人」だと認識してもらいましょう。
そうして適度な距離を保つことができます。




こんな記事も書いています。

コメント

タイトルとURLをコピーしました